御所東霊場徹底後略!

護浄院(ごじょういん)

京都七福神の一にして火の守護神。
今日も炎の災いから京都を護っている。
本文へジャンプ 護浄院の門 
取材ライターコラム
  • 考えてもみれば日本らしい話なんだろうなと思うのが、七福神とか、霊場めぐりなどの「ありがたいものをいくつも並べる」という発想である。
  • よくいうように、日本は多神教である。例えば西洋やアラブ諸国のように一神教であれば、もしかしたらこのような発想は生まれなかったかもしれない。キリスト教にも、十二使徒などのように聖人を並べる考え方があるが、神様そのものを並べはしない。
  • 「そういえば」、という接続詞で話出すのもアレだが、日本人以外の外国人はいわゆる「三角食べ」というのができないそうだ。
  • 三角食べとはご存知の通り、ご飯とオカズと味噌汁を同時に出されてそれを満遍なく食べ減らしていくというお食事メソッドのことだが、これが外国人にはなかなかわからないらしい。確かに「前菜の次にスープ、その次、肉、魚、デザート!」というような一本気気質の「フルコース」という発想が所与であれば、「おいおい、スープとオカズを同時に出すなんて冷めちゃうぜ、ヘイメーン」となる気持ちも分からないではない。
  • この「同じ重みを持ったものが同時進行する」三角食べというお食事メソッドが多神教的で、フルコースは一神教的だ、ということを思いついたわけだが、思いつきだけでコラムを書いている私にとってはこれくらい日常茶飯事である。
  • この際、思いつきついでに言っておくと、そういえばフルコースのお食事メソッドはいかにも進化論的であり、進化論を生んだ西洋の思想の源流を見る。日本はその点ナアナアである。
  • このナアナア具合を戦後民主主義につなげれば、「三角食べに見る戦後民主主義批判」とかになるんだろうか。
  • おおむね賢そうな文章なんてそういう思いつきで書かれているもんじゃないか、という無茶なオチを、今思いつきで書いているのである。          【タニス】

荒神 ・・・火の守護神


史とアイテム

護浄院。常施無畏寺と号し、天台宗の寺。通称は清荒神(きよしこうじん)。

本尊の清三宝大荒神は千二百余年前、光仁天皇の皇子、開成親王の作といわれ、摂津の国にあったのを後小松天皇の勅により僧乗厳が醒ヶ井高辻の地に 勧請し、初めて清荒神といわれた。
その後、慶長五年(1600年)現在の地に移され、後陽成天皇御自作の如来荒神尊七体をあわせ祀って長日の御祈願を行い、元禄十年護 浄院の院号を賜り今日に至る。

また、一般の家庭では、かまどの上に祀られ火の守護神とされる。

尊天堂内に安置される福徳恵美寿神はもと禁裏に奉安せられていたが、明治維新に際しここに移され、京都七福神の一に数えられ、世に尊信が高い。

なお、荒神町の地名はここより起こったものという。

・メ・チ・シ・キ

清荒神の住職は、天台宗僧職の偉い人である。

偉い人といっても具体的な役職名はよくわからない。わからないが、「確かな偉さ」というのは言葉にならずとも伝わってくる。
どうしても確認したい人は、直接訪れて聞いてみるのが良いだろう。住職はその偉さとウラハラにとてもフレンドリーに旅人の質問に答えてくれるはずだ。

以前、住職の写真を取らせてもらったことがある。夜間にも関わらず、住職の背中からオレンジ色のぼやけが映りこんでおり、それを見た私達は「ああ、これがいわゆる後光か」とため息をついたものである。

後に、ただ撮影場所が暗かったため手振れの影響でそのような映り方をしたことが判明するのだが、普通、マズ最初にそちらの可能性を考えるはずだ。

にもかかわらず、私達はそれを後光だと信じて疑わなかった。それが「言葉にならない偉さ」なのである。
理由などいらないのである。コカコーラがノーリーズンであるように、清荒神の住職もノーリーズンに徳が高いのだ。
フィルムに映りこむほどに。

今回サイトを作成するにあたり、一枚取らせてもらったが、残念ながら後光は映りこんでいなかった 。これを仏の啓示と理解した我々は写真の掲載を差し控えることにした。
もしあなたが清荒神を訪れるなら、カメラを忘れないように気をつけるべきだ。
 

清荒神   あくせす
    清荒神の祠
本堂には「清荒神」の看板が。地元民には「こうじんさん」と呼ばれ親しまれている。京都の一般家庭で、清荒神の護符が貼られていることは少なくない。
河原町丸太町を北上、荒神口交差点を西へ30秒!

南側に見えるのが護浄院だ!


 

清荒神 護浄院

京・寺町通荒神口東入る

075-231-3683



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