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私たちは、まず旧春日小学校前に集合して、市バスに乗り岡崎神社へと向かいました。 岡崎神社とは、桓武天皇の延暦十三年(794)の平安京遷都の際、勅願により王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、都の東に鎮座することから東天王と称し方除け・厄除けの神として信仰されています。 また、御祭神が八柱の御子神をもうけられ、治承二年(1178)には中宮の安産祈願の幣帛を賜ったことにより、子授け・安産の神として昔より信仰されている神社です。 そしてここからは、黒谷→真如堂→吉田神社へとすべて歩いて移動しました。 |
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初めに向かったのは黒谷の黒谷会津藩墓地です。 黒谷の金戒光明寺は、幕末には松平容保の会津藩の京都守護職会津藩一千名の本陣にもなり、墓地には会津藩殉職者が埋葬されています。 会津松平家が神道であった関係で七割ほどの人々が神霊として葬られています。 |
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そして、江の供養塔に向かいました。この供養塔があるのは、黒谷こと金戒光明寺です。 黒谷は浄土宗という事で徳川家と縁が深く、知恩院と共に庇護されていました。 実際、幕末には京都守護職を努めた会津藩の陣屋となった事でもその事が窺えます。 その黒谷に江の供養塔を建てたのは、三代将軍家光公の乳母であった春日局です。 この供養塔はNHKの大河ドラマ「江」に登場しているそうです。
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さらに少し歩いて真如堂です。真如堂は、京都でも名高い紅葉の名所で、正しくは鈴声山(れいしょうざん)真正(しんしょう)極楽寺。 比叡山の戒算上人が永観2年(984)延暦寺の常行堂にあった、慈覚大師作と伝える阿弥陀如来像を神楽岡に移し、開祖したのが始まりです。 当初の場所は、現寺地の東北にあたり「元真如堂」といいます。 その後、応仁の乱などにより各所を転々、元禄6年(1693)、旧地の西南にあたる現在地に落ち着きました。 真如堂では、拝観させていただきました。 |
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最後に向かったのは吉田神社です。 吉田神社は祭神として、健御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比売神の四神を祀っています。 貞観元年(八五九)藤原山蔭卿が平安の鎮守神として藤原氏の氏神である奈良の春日社四神を勧請したのが当社のはじめであります。 祭礼のうち節分祭(毎年節分の当日を中心に前夜三日間にわたって本宮および太元宮で行われる)は疫神祭・追儺式・火炉祭の三部に分れ、室町時代以来の伝統をほこる神事で多数の参詣者で賑います。 すべての神社を回ったあとは、京都大学の食堂でお昼ご飯をいただきました。 そして旧春日小学校前へと、みんなで歩いて帰りました。 |
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